見たくないもの
竹内万里子
杉田さんの指摘された意味においてこそ、「難解さ」と「わかりやすさ」はおそらく同等の資格をもつのでしょうね。なぜならそのどちらもが、「虚偽に満ちた 共通意識の捏造」に容易に加担し得るものだからです。言い換えれば、難解であるから、あるいはわかりやすいからというだけの理由によっては、何事も評価さ れることもできなければ非難されることもできない。肝心なのはその「難解さ」なり「わかりやすさ」がどこへ向かうものであるかということだと私は思いま す。
人は見たいものしか見ようとしない。そして見たくないものは無視するか、よくてもせいぜい不快感を示すといったところです。おそらく今日の芸術が抱えてい る問題のひとつは、じつはその「見たくないもの」を見ないために自分が機能しているという事態に無自覚である(あるいはその事態をこそ無視している)とい う点にあるのではないでしょうか。そして、見たいものーーそれはせいぜい「私たちの夢」という名の虚偽か悪態にすぎない場合が多いわけですがーー、それを 追うことがせいぜい芸術であると信じている。
しかし人が「見たくないもの」とは、そのような私たち自身の愚かさ加減のことなのではないでしょうか。とするならば、自分が素直に反応できる作品以上に、 自分が抵抗を覚える作品や事態にこそより一層注意をを払うべきだと考えることもできるでしょう。といいつつも、私たちが本当に自らの愚かさ加減に、この醜 態にしっかり目を見開くことができるかどうか、正直なところ甚だ心許ないのではありますが。
2006.05.20