Archive for 3月, 2006

Date: 3月 20th, 2006
Cate: Mariko takeuchi
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一度に

竹内万里子

ひとつのことすらまともにできないというのに、いくつもの用を同時に抱えて右往左往しているうち、すっかり春めいた日々が来て、しばし呆然としています。

ところで昨今、自己責任とか自己決定論とかいう言葉がすっかり世間に定着しているようですね。このところ、そのことについて考えていました。他人に迷惑を かけなければ自分で決定してよい、責任をとればよい、という論理は、一見あまりにも正当なように思えますが、それは同時に、私たちを取り巻くより大きな構 造に対する疑念を思考停止させてしまうものでもあります。それがとりわけネオ・リベラリズムの政治的戦略に都合のよい論理として利用されているという事態 は、事の重大さに比べて適切に論じられていないように思います。

この問題は、もちろん狭義の政治だけにかかわるものではありません。日頃、作品を制作する方々と話をしている際に、「好きだから」という言葉をたびたび聞 くことがあります。何かを好きだったり嫌いだったりすることはもちろん一向に構いませんが、じつはそのたびに、どこか歯がゆい思いを覚えます。好きだった ら何をしてもいいのでしょうか。「芸術」だったらすべてが許されるのでしょうか。「好きだから」「面白いから」と言った途端に、見えなくなり、隠蔽される もの。作品を見せるという行為には、「好き」以上の何かがつねに問われるはずです。それは「共同性」ではなく、むしろ共鳴性ないし共振性とでもいうべき、 倫理的なまなざしに近い何かだろうと思います。「地獄への道は善意で敷き詰められている」とレーニンは語りましたが、芸術がその「善意」から無縁であるな どと、いまさら誰が予言できるでしょうか。

2006.03.20