Date: 10月 6th, 2007
Cate: Mariko takeuchi
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写真は誰のものか?

竹内万里子

なんと、半年近くもご無沙汰してしまいました。現在インターネット上でこれほどのスローテンポで展開される往復書簡が他にあるのだろうか(いや、インター ネットでなくても…)、と少々自虐的に問いつつも、杉田さんの寛大さには、本当に頭が下がる思いです。さて、今日までart & river bankで開催されていた森澤勇 / 森澤ケン「MORISAWA PHOTO SHOP」は、3月のシンポジウムで話題にのぼった「アーカイヴと写真」という問題圏にも触れた、とても面白い展覧会だったと思います。写真家の森澤ケン さんが、祖父にあたる森澤勇さんが撮りためた膨大な写真を何年もかけて整理し、選んだ写真をプリントし(すでに4000点ほどプリントされたというから驚 きです)、そのひとつの結果として、今回の会場に数十点が並んでいました。お祖父様は旧軽井沢で写真館を営むかたわら様々な写真を撮られていたようです が、しかしこれらの写真を「作品」として発表しようというような意思も特になかったようです。しかし、孫にあたる森澤ケンさんの手を経て実際に会場に並べ られた写真からは、みずみずしいと思わず呟きたくなるような、何かにとらわれることのないまなざしの質が、強烈に感じられてしまう。ほとんど嫉妬してしま うほどに。これはいったいどういうことなのでしょう。

私はたびたび、写真は誰のものか、と思うことがあります。近年、著作権や肖像権といった権利意識が社会全体に高まっていることには、それなりの理由がある とは思いますが、いっぽうで私は、このいささか過剰にも思える風潮に対して、一定の危惧を拭いきれません。写真というものは、本当に「撮った人」のもので あり、あるいはまた「撮られた人」のものなのだろうかと。実際、森澤ケンさんが手がけられているこの仕事は、ただ単に古い写真を見つけて焼き直したという 類のものではまったくないと思います(そもそも、写真に「新しさ」や「古さ」という言葉がどこまで有効なのか、じつに疑わしいものです)。これらの宛先の ない写真たちからは、「誰のものか」などという些末な権利意識からは離れた場所で、写真という広大なアーカイヴの海を泳ぐ私たち人間に残された本当の仕事 とは何なのかを、改めて問われている気もします。

2007.10.06